大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成8年(ワ)2043号 判決

原告

下村ワキ子

外二名

右原告ら三名訴訟代理人弁護士

守山孝三

被告

福西鋳物株式会杜

右代表者代表取締役

中森英夫

右訴訟代理人弁護士

中務嗣治郎

村野譲二

生口隆久

中務正裕

主文

一  被告は、原告らに対し、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明け渡せ。

二  被告は、原告らに対し、平成八年一月一日から前項の明渡済みまで一か月金四万七五〇〇円の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の金員請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  主文第一項同旨

二  被告は、原告らに対し、平成八年一月一日から前項の明渡済みまで一か月金二九万円の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告に対し土地を賃貸している原告らが、賃貸借契約は、主位的に右土地上に存在する建物の朽廃すべかりし時期の到来により、予備的に期間の満了により終了したと主張して、建物収去土地明渡し及び右明渡済みまでの地代相当の損害金(一か月二九万円)の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実

1(土地の賃貸借契約)

下村玄陸(以下「玄陸」という。)は、昭和一五年ころ(被告の主張)ないし昭和二〇年ころ(原告らの主張)、福西佐嗣(以下「佐嗣」という。)に対し、その所有にかかる別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)を、非堅固倉庫所有の使用目的で賃貸した(以下「本件契約」という。)。

2(建物の建築)

佐嗣は、本件契約後、昭和二〇年の末(原告らの主張)ないし昭和二五年ころ(被告の主張)、本件土地上に別紙物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物」という。)を建築した。

3(賃借人の地位の移転)

佐嗣は、昭和二八年四月二一日、被告会社を設立し、自らその代表取締役となった。その際、被告は、佐嗣から、本件土地の賃借権及び本件建物の所有権を承継した。

4(賃貸人の地位の移転)

(一)  玄陸は、昭和二四年一二月三〇日に死亡し、玄陸の妻である下村ツネ(以下「ツネ」という。)と子である下村英太郎(以下「英太郎」という。)が、相続によりその権利義務を承継した。

(二)  ツネは、昭和三七年七月一三日に死亡し、ツネの子である英太郎が、相続によりその権利義務を承継した。

(三)  英太郎は、昭和五七年九月一二日に死亡し、英太郎の妻である原告下村ワキ子、養子である原告下村通和及び実子である原告下村英子が、相続によりその権利義務を承継した。

5(修繕についての異議の不存在)

被告は本件建物を修繕したことがあるが、被告による本件建物の修繕につき、英太郎及び原告らが異議を述べたことはなかった。

二  主位的請求原因(建物の朽廃すべかりし時期の到来による契約の終了)

1(原告らの主張)

(一)  被告は、以下のとおり、建築当初の本件建物を修繕した。

(1) 建築当初の主柱(以下「旧柱」という。)の内側に柱を新設した(以下「新柱」という。)。そして、旧柱と新柱を外側と内側から波鉄板の壁材で挟み込み、新柱を補強した。さらに、床組を新設し、この新設床組の床材と新柱とを金具で結合し、屋根組の荷重を支える耐力を補強した。

(2) 屋根組(梁、母屋鉄板板)を新設し、新柱に切込みを入れ、そこに新屋根組の新梁を載せて結合し、その新柱によって新屋根組を支えている。

(3) 壁板は、かなり古い杉板の外側と新柱の内側とに波鉄板を挟み付けて張り、新設床組とともに新柱を補強して倒壊を防ぐ構造体にしている。

(二)(1)  右(一)のとおり、柱、屋根、壁といった構造体の各要部の部材の取替え、補強がなされ、床の新設工事が行われていることからすれば、これは通常の修理の域を超えた大修繕に当たる。そして、借地上の建物につき通常の修理の域を超えた大修繕がなされた場合、借地契約は大修繕前の建物が朽廃すべかりし時期に終了すると解すべきである。

(2) 本件建物は、昭和二〇年一一月ないし一二月ころに建築され、築後五〇年が経過しているところ、前記(一)の修繕前の建築当初の建物各部の現況は、以下のとおりである。

① 本件建物の屋根組を支えていた多くの掘立方式の旧柱は、その下部が経年によりほとんど腐蝕している。

② 建築当初の屋根組のうち屋根板は、すでに腐蝕してなくなっており、小屋梁、束柱、敷桁は、ごく一部分を残すのみである。

③ 建築当初の壁板は、五〇年の経年の腐朽等により、ほとんど残っていない。

このような現況からすれば、修繕前の本件建物は、遅くとも、平成七年一二月末ころに、朽廃すべかりし時期に至ったので、その頃、本件契約は終了したというべきである。

2(被告の主張)

(一)  借地上の建物が大修繕された場合、土地の賃貸人が遅滞なく異議を述べることなく修繕工事が完了すれば、建物が現実に朽廃するまで借地権は消滅しないと解すべきである。

(二)  本件においては、仮に本件建物につき大修繕がなされていたとしても、以下のとおり、英太郎及び原告らは被告が本件建物を修繕することにつき異議を述べる機会を有していたにもかかわらず、異議を述べず、修繕を承認したうえで賃貸借関係を継続してきたのであり、また、本件建物は現実に朽廃していないから、本件契約は未だ終了していない。

(1) 本件建物の修繕が行われたのは昭和三〇年代後半と推測されるところ、英太郎は、被告方に地代の集金に来ていたし、被告の営業時間中は出入口の門はほとんど開放状態にあるから、本件建物の現況を確認しようと思えばいつでもすることができたのに、異議を述べなかった。

(2) また、原告らが被告に対して提起した建物収去土地明渡請求訴訟(大阪地方裁判所昭和五九年(ワ)第五〇八号事件。以下「前訴訟」という。)において行われた鑑定(以下「長谷川鑑定」という。)において、本件建物の修繕の程度が明らかになっていた(同鑑定書中には、柱に一〇五粍角の補強添柱が取り付けられ、柱、小屋根組、床板等の木造部分、内外壁、屋根の金属部分、出入口の建具部分を修繕補修したとの記載があり、平面図等や現況写真まで添付されているから、修繕の概要を把握することができる。)のであるから、原告らは、修繕につき異議を述べることができたのに、異議を述べなかった。

3(原告らの反論)

原告らは、本件訴訟における鑑定(以下「佐野鑑定」という。)が行われるまでは、被告が前記1(原告らの主張)(一)の大修繕を行っていることを認識できなかったから、大修繕について異議を述べる機会はなかった。

(一)  被告は、英太郎及び原告らに対し、大修繕を行うことを通知したり、承諾を求めたりすることはなかった。

(二)  原告下村ワキ子は、昭和五八年八月ころ、本件建物を見に行ったところ、腐蝕が進行し破損個所も多く、全体として朽廃状態であると考えたので、同月二四日、本件建物の朽廃を理由として本件土地の明渡調停を申し立てた。この時点では、佐野鑑定で解明されている前記1(原告らの主張)(一)の大修繕はなされていなかった。右調停は昭和五九年一月一七日に不成立になったため、原告らは、同月三〇日、前訴訟を提起した。ところが、被告は、右調停の申立後、本訴提起までの間に、原告らに何ら通知することなく、大修繕を行い、建物の壁体の外側と内側とに波鉄板を張ったため、波鉄板を剥がさないと大修繕が行われたことが分からない状態となった。

前訴訟において行われた長谷川鑑定は、建物の壁体に張られた波鉄板を剥がさずに行っており、壁体や床の内部の実態を把握した上でなされたものではなかったため、同鑑定からは、大修繕が行われたことは認識し得なかった。

原告らが、本件建物の大修繕が行われていることを知ったのは、本件訴訟において行われた佐野鑑定によってである。

(三)  仮に、骨組みを取り替えた大修繕が被告主張のように昭和三〇年代後半になされていたとしても、被告による地代の支払いは年払いで、かつ送金による方法でなされていたし、英太郎や原告らは、本件土地を見に行く用事がなく、仮に本件土地に行ったとしても、本件建物の外側に壁板が張り巡らされていて、建物の内部は見えなかったから、大修繕が行われていることを認識することができなかった。

三  予備的請求原因(更新拒絶による期間満了)

1(原告らの主張)

(一)  本件契約は、平成七年一二月末日ころに期間が満了した。

(二)  原告らは、同年一一月八日、被告に対し、本件契約の更新を拒絶する旨の意思表示をした。

(三)  原告らの右更新拒絶には、以下のとおり、正当の事由がある。

(1) 原告らは、本件土地を含む大阪市西区南堀江〈番地略〉の土地一筆全体を所有しているところ、同土地の奥行きは25.8メートル、間口は一三メートルであり、同土地の西側半分である本件土地を被告に賃貸しているため、残りの東側土地の間口が狭くなり、その利用価値が低くなっている。

そこで、原告らは、その所有する土地の有効利用を図るべく、本件土地と東側土地を一体として利用して、賃貸マンションを建設することを計画している。したがって、原告らは本件土地を使用する必要性がある。

(2) 本件建物は、掘立式のバラック状の建物である上、築後五〇年を経過しており、投下資本回収に必要な合理的期間は既に経過している。また、本件建物は老朽化が著しく、残存価値がない。

(3) 被告は、本件土地の近辺に複数の倉庫を所有しており、本件建物を使用する必要性に乏しい。

2(被告の主張)

(一)  (一)は争う。本件契約は、昭和一五年ころに締結されたものであるから、既に更新されている。

(二)  (二)のうち、原告らが被告に対し、本件契約の更新を拒絶する旨の意思表示をしたことは認める。但し、右意思表示がなされたのは平成七年一二月八日である。

(三)  原告らの更新拒絶には、以下のとおり、正当の事由がない。

(1) 本件土地付近は商業地域であり、その周囲の大部分を工場又は倉庫が占めていることや最寄り駅からの距離からすれば、賃貸マンションの建設に適する地域ではない。また、原告らの主張するマンションの建設計画は、設計・資金面等の点で何ら具体性がない。さらに、原告ら自らが、本件土地に居住したりこれを営業上使用する等の必要性はない。原告らは〈番地略〉の土地のうちの東側土地を屋根付駐車場として利用してきたものであり、東側土地を本件土地と一体として利用しなければならない必然性はない。

(2) これに対し、被告にとって、本件土地及び本件建物は、業務上不可欠の施設である。

すなわち、被告は、マンホールカバーその他各種鋳鉄品の設計・製造・販売を業とする会社であり、右営業のため本件建物付近に複数の倉庫を有しているが、本件建物は、発送及び製品の仕上げ基地として必要不可欠なものであるだけでなく、その位置関係からして他の倉庫よりも格段に重要な機能を営んでいる。しかも、各倉庫はすべてフル稼働しており、倉庫はなお不足している状態であって、本件建物に保管している製品を他の倉庫に収納できるというような状況にはない。また、被告は、本件建物と本件土地の西側の隣接地(大阪市西区南堀江〈番地略〉)上の建物とを一つの倉庫として利用しているので、分離されれば効率的な利用が図れない。

第三  当裁判所の判断

一1  本件建物の修繕の状況は、証拠(鑑定の結果)によれば、以下のとおりであると認められる。

(一)(1) 建築当初の柱(旧柱)は基礎石を置くことなく、直接土の中に埋め込んで立てられていたところ、右柱の埋込み部分が腐蝕したため、旧柱を残置したままその内側に補強のための添柱(新柱)が立てられている。

旧柱の外側には杉板が鎧張りされていたところ、この建築当初の杉板は一部分しか残っておらず、ほとんど張り替えられている。

杉板の外側には、波鉄板が土中に二〇ないし三〇センチメートルまで差し込んだ状態で張られ、新柱の内側にも、波鉄板が土中に二〇ないし三〇センチメートルまで差し込んだ状態で張られている。

このように、旧柱の補強添柱として新柱が立てられるとともに、旧柱と新柱は、外側からは杉板と波鉄板で、内側からは波鉄板でサンドイッチ状に挟み込まれ、柱の補強がなされている。

(2) 屋根部分は、旧柱の上に載せた建築当初の軒桁はそのままにして、新柱の端面に切込みを入れて新たな梁が設けられ、その上に新たな母屋が設けられ、その上に新たな波鉄板が張られ、梁の随所にほうづえ等の補強材が設けられている。建築当初のものは、小屋組の軒桁のほか、建物のごく一部分の梁、束柱しか残っていない状態である。

(3) 建築当初、床組は存在しなかったが、床にコンクリートブロック束石が配置され、束柱、大引、根太が設けられ、床板が張られて、床組が新設されている。そして、これら床組の床材が新柱と金具で結合され、新柱の補強がなされている。

(二) 本件建物は、右のように柱、壁、屋根、床に修繕が加えられているため、現在、朽廃するには至っておらず、倉庫として使用可能な状態である。

2  本件建物の建築当初の状況は、証拠(鑑定の結果)によれば、以下のとおりであると認められる。

(一) 本件建物の小屋組、壁、屋根のうち、建築当初のものは、壁体の軸組のほとんど大部分の柱(旧柱)、屋根の小屋組の軒桁、建物のごく一部分の柱、束柱、外壁波鉄板の内側に鎧張りされた杉板の一部分が残っているにすぎない。

(二) 旧柱のほとんど大部分は残っているものの、基礎石を置くことなく直接土の中に埋め込んで立てられているため、下部が腐蝕し、建物の荷重を支える本来の機能を果たしていない。

(三) したがって、本件建物は、旧柱の補強のために旧柱の内側に新柱を添えて立てるとともに、旧柱と新柱を外側からは杉板と波鉄板で、内側からは波鉄板でサンドイッチ状に挟むことにより壁体を補強し、さらに、新設の屋根組(梁、母屋)及び新設の床組(コンクリートブロック束石、束柱、大引、根太、床板)を接合させて、耐力を持たせ、倒壊を防いでいる状態であり、本件建物の構造体の大部分が右修理により新しい材に代わっていなかったとすれば、建築当初の本件建物は、柱の埋込み部分の腐蝕、波鉄板屋根の夏期の熱さ及び湿気による下部屋根材(母屋等)の腐蝕により、耐用年数は二〇年ないし二五年と推認される。

3  右1及び2認定の事実によれば、本件建物は、現在朽廃するには至っておらず、倉庫として使用可能な状態ではあるが、本件建物の小屋組、壁、屋根のうち、建築当初のものは、壁体の軸組のほとんど大部分の柱(旧柱)、屋根の小屋組の軒桁、建物のごく一部分の梁、束柱、外壁波鉄板の内側に鎧張りされた杉板の一部分が残っているにすぎず、ほとんど大部分が残っている旧柱も、基礎石を置くことなく、直接土の中に埋め込んで立てられているため、下部が腐蝕し、建物の荷重を支える本来の機能を果たしておらず、したがって、本件建物は、旧柱の補強のために旧柱の内側に新柱を添えて立てるとともに、旧柱と新柱を外側からは杉板と波鉄板で、内側からは波鉄板でサンドイッチ状に挟むことにより壁体を補強し、さらに、新設の屋根組(梁、母屋)及び新設の床組(コンクリートブロック束石、束柱、大引、根太、床板)を接合させて、耐力を持たせ、倒壊を防いでいる状態であり、本件建物の構造体の大部分が右修理により新しい材に代わっていなかったとすれば、建築当初の本件建物は、柱の埋込み部分の腐蝕、波鉄板屋根の夏期の熱さ及び湿気による下部屋根材(母屋等)の腐蝕により、耐用年数は二〇年ないし二五年と推認されるというのであるから、被告がした本件建物の修繕は、本件建物の命数を大幅に延長するもので、通常の修理の域を超えた大修繕に当たることが明らかであり、右大修繕がされていなければ、本件建物は、遅くとも平成七年一二月末日には、その自然の推移により朽廃するに至っていたということができる。

二1  このように、建物所有目的の土地賃貸借契約において、借地上の建物につき通常の修理の域を超えた大修繕がなされたがために右大修繕がなされていなければ朽廃するに至っていた時期を超えて建物が存続することとなった場合の旧借地法二条一項但書(借地借家法附則五条により、本件建物の朽廃による借地権の消滅に関しては旧借地法が適用される。)の適用について、原告らは、借地契約は大修繕前の建物が朽廃すべかりし時期に終了すると解すべきである旨主張し、被告は、土地の賃貸人が遅滞なく異議を述べることなく修繕工事が完了すれば、建物が現実に朽廃するまで借地権は消滅しないと解すべきである旨主張するので、検討する。

旧借地法二条一項が建物の構造に応じて借地権の存続期間を定めているのは、建物がその構造に従い建物としての効用を保つであろう年数を想定し、その期間内は借地権の存続を保障して、当該建物の所有者をして建物が朽廃により自然の命数を終えるまで安んじて土地を利用させるためであるから、当該建物が規定の年数に達しないうちに朽廃により建物としての効用を保つことができなくなった場合にまで、規定の年数に達するまで借地権を存続させる必要はないというべきであり、このような趣旨で同項但書が設けられたものというべきである。そして、借地上の建物につき借地権者が大修繕をした場合であっても、借地権が消滅するのは建物が現実に朽廃したときであると解するとすると、借地権者は大修繕を繰返し行うことにより建物を朽廃に至らないようにすることができるから、旧借地法二条一項但書が事実上空文になりかねない。したがって、右規定は、借地権者が借地上の建物につき通常の修理の域を超えた大修繕をした場合、当該建物がその自然の推移により朽廃すべかりし時期に達したときは、たとえ右大修繕の結果現実には未だ朽廃しているとはいえないときでも、借地権は消滅することを定めたものであり、ただ、借地人による借地上建物の大修繕を土地賃貸人が容認したと認められる事情が存する場合には、当事者の合理的な意思解釈として、賃貸借の期間は大修繕により延長された建物の耐用年限ないし当初の存続期間の満了時まで延長されるものと解するのが相当である。

2  前記一において認定説示したところによれば、被告がした本件建物の修繕は、通常の修理の域を超えた大修繕に当たり、右大修繕がされていなければ、本件建物は遅くとも平成七年一二月末日にはその自然の推移により朽廃するに至っていたというのであるから、被告による本件建物の大修繕を賃貸人である英太郎及び原告らが容認したと認められる事情が存しない限り、本件契約は平成七年一二月末日には終了したということになる。

3  そこで、右事情が存するか否かにつき検討する。

(一) 被告は、英太郎及び原告らは被告が本件建物を修繕することに異議を述べる機会を有していたにもかかわらず、異議を述べず、修繕を承認したうえで賃貸借関係を継続してきた旨主張し、まず、本件建物の修繕が行われたのは昭和三〇年代後半と推測されるところ、英太郎は、被告方に地代の集金に来ていたし、被告の営業時間中は出入口の門はほとんど開放状態にあり、本件建物の現況を確認しようと思えばいつでもすることができたと主張する。

しかしながら、本件建物の大修繕が昭和三〇年代後半に行われたことを裏付けるに足りる的確な証拠はなく、本件全証拠によるも、大修繕のされた時期を確定することはできない。また、証拠(甲四、五、原告下村ワキ子)によれば、英太郎は、地代の値上げの交渉のために、本件建物とは至近距離にある被告の大阪本社を訪れたことのあることが認められるものの、前記認定及び証拠(甲一、検甲一一の1ないし5、原告下村ワキ子、鑑定の結果)によれば、旧柱の補強のための添柱(新柱)は建築当初の壁板(杉板)とその内側の建築当初の旧柱のさらに内側に立てられ、新設の屋根組(梁、母屋)はその上に波鉄板が張られていて、新設の床組とともに、本件建物の内部に入らなければ認識し得ないことが認められ、仮に英太郎が被告の大阪本社を訪れた際に本件建物を見に行ったことがあったとしても、特に修繕の有無を確認しようと意識して本件建物の内部に入らない限り、本件建物を外側から見ただけでは、右のような修繕の事実を認識し得たとはいえないところ、本件建物はいうまでもなく被告の所有であり、仮に被告主張のように営業時間中は出入口の門はほとんど開放状態にあるとしても、その敷地の賃貸人といえども、特別の用もないのに本件建物の内部に立ち入るとは考えられず、現実に英太郎が本件建物の内部に立ち入ったことがあるとの事実も、被告が英太郎に対し前示のような修繕をすることにつき通知をしたとの事実もこれを認めるに足りる証拠はないから、結局、本件全証拠によるも、英太郎が本件建物の前示大修繕の事実を認識していたとは認められず、認識していたと認められない以上、英太郎が本件建物の修繕につき異議を述べなかった(争いがない。)からといってこれを容認していたとは認められないというほかない。

(二) また、被告は、前訴訟の長谷川鑑定において、本件建物の修繕の程度が明らかになっていた(同鑑定書中には、柱に一〇五粍角の補強添柱が取り付けられ、柱、小屋根組、床板等の木造部分、内外壁、屋根の金属部分、出入口の建具部分を修繕補修したとの記載があり、平面図等や現況写真まで添付されているから、修繕の概要を把握することができる。)のであるから、原告らは、修繕につき異議を述べることができたと主張する。

証拠(甲一)によれば、長谷川鑑定の鑑定書中には、本件建物について、「柱は当初杉九〇粍角、補強添柱杉一〇五粍角、掘立柱。」「当初の柱脚は腐蝕のため補強添柱を取付けたと推測されるが、現況は内外より波鉄板が貼られて観察できない。内外壁の波鉄板は昭和五八年八月以降に補修されたもの。小屋組、屋根を含め対象建物全体として適切に補修が施された状態であり、重大な破損箇所は認められない。」「修繕、補修は再三施されている。内容は柱、小屋組、床板等の木造部分、内外壁、屋根の金属部分、出入口の建具部分と認められる。」との記載があり、また、同鑑定書の附属資料4の断面図には、九〇×九〇の柱の内側に一〇〇×一〇〇の柱(補強材)が立てられていることが示され、同じく平面図には板張りの床が設けられていることが示されていることが認められ、原告らが、長谷川鑑定がなされた後も、被告による本件建物の修繕につき異議を述べなかったことは当事者間に争いがない。

しかしながら、証拠(甲一、六ないし八)及び弁論の全趣旨によれば、原告らは、昭和五八年八月二四日、被告に対し、本件建物は腐蝕も進行して破損箇所も多く、全体として朽廃状態にあるとして、主位的に本件建物収去・本件土地明渡しを求める調停を申し立てたこと、右調停が不成立になったため、原告らは、同五九年一月三〇日、右調停におけると同様の理由により、遅くとも同五八年一二月末には本件建物の朽廃により被告の借地権は消滅したと主張して、主位的に本件建物収去・本件土地明渡しを求める訴訟(前訴訟)を提起したこと(予備的請求は賃料増額請求)、前訴訟における昭和五九年八月三一日付長谷川鑑定において、主位的請求の関係では、「① 建築時期。② 土台、柱、内外壁、屋根の各構造、材質。③ 建物の腐朽・破損箇所及びその状態、耐力減退状態。④ 修繕の有無、内容。⑤ 建物が朽廃状態にあるか否か、朽廃に至っていない場合は今後の耐用年数はどの位か。」について、前記のような認定のもとに、結論として、本件建物は朽廃状態ではなく、今後の耐用年数は現況の補修状態を維持するものとして一〇年程度と判定すると鑑定されたこと、その結果、昭和六〇年一二月二四日、従前の補修状態を維持すれば今後なお一〇年位は耐用年数があり建物としての効用を保っているなどの事実を認定したうえ、本件建物は昭和五八年一二月末ころにおいても朽廃状態にないとして原告らの建物収去土地明渡しの主位的請求を棄却する判決が言い渡されたこと、原告らは右鑑定及び右判決の結果を受け、約一〇年の経過を待って、平成八年二月二九日本件訴訟を提起したことが認められ、また、前訴訟における長谷川鑑定の鑑定書には、前記のとおり「柱は当初杉九〇粍角、補強添柱杉一〇五粍、掘立柱。」「当初の柱脚は腐蝕のため補強添柱を取付けたと推測されるが、現況は内外より波鉄板が貼られて観察できない。内外壁の波鉄板は昭和五八年八月以降に補修されたもの。小屋組、屋根を含め対象建物全体として適切に補修が施された状態であり、重大な破損箇所は認められない。」「修繕、補修は再三施されている。内容は柱、小屋組、床板等の木造部分、内外壁、屋根の金属部分、出入口の建具部分と認められる。」との記載があり、同鑑定書の附属資料4の断面図には九〇×九〇の柱の内側に一〇〇×一〇〇の柱(補強材)が立てられていることが示され、同じく平面図には板張りの床が設けられていることが示されており、被告が本件建物につき修繕をしていること自体は、右鑑定書を見れば容易に認識することができたとはいえるものの、本件訴訟における鑑定(佐野鑑定)に基づき前記一に認定したように、本件建物の小屋組、壁、屋根のうち、建築当初のものは、壁体の軸組のほとんど大部分の柱(旧柱)、屋根の小屋組の軒桁、建物のごく一部分の梁、束柱、外壁波鉄板の内側に鎧張りされた杉板の一部分が残っているにすぎず、その残っている旧柱も、基礎石を置くことなく直接土の中に埋め込んで立てられているため、下部が腐蝕し、建物の荷重を支える機能を果たしておらず、屋根部分は、旧柱の上に載せた建築当初の軒桁はそのままにして、新柱の端面に切込みを入れて新たな梁が設けられ、その上に新たな母屋が設けられ、その上に新たな波鉄板が張られ、梁の随所にほうづえ等の補強材が設けられており、建築当初、床組は存在しなかったが、床にコンクリートブロック束石が配置され、束柱、大引、根太が設けられ、床板が張られて、床組が新設され、したがって、本件建物は、旧柱と新柱を外側からは杉板と波鉄板で、内側からは波鉄板でサンドイッチ状に挟むことにより壁体を補強するとともに、新設の屋根組(梁、母屋)及び新設の床組(コンクリートブロック束石、束柱、大引、根太、床板)を接合させて、耐力を持たせ、倒壊を防いでいる状態であるという、被告のした修繕が通常の修理の域を超えた大修繕に当たるとの判断をする基礎となる事実までは、長谷川鑑定の鑑定書によって認識することができたとはいえないから、長谷川鑑定がなされた後も原告らが被告による本件建物の修繕につき異議を述べなかったからといって、到底、原告らが右のような大修繕を承認したうえで賃貸借関係を継続してきたということはできない。

(三) 以上要するに、被告による本件建物の大修繕の事実を賃貸人である英太郎及び原告らが容認したと認められる事情が存すると認めるに足りる証拠はない。

4  したがって、前記2に説示したところに従い、本件契約は、平成七年一二月末日には終了したというべきである。

三  本件契約終了日の翌日(平成八年一月一日)以降の地代相当損害金の額については、前訴訟の判決(甲八)によれば、本件土地の地代が昭和五九年二月三日以降一か年五七万円(一か月四万七五〇〇円)であることが認められるから、右平成八年一月一日以降の地代相当損害金の額も右と同額と認めるのが相当であり、これを超えて原告ら主張の一か月二九万円であると認めるに足りる証拠はない。

第四  結論

以上によれば、原告らの請求のうち、建物収去土地明渡を求める請求は理由があるから認容し、右明渡済みまでの地代相当の損害金の支払を求める請求は、右三の一か月四万七五〇〇円の限度で理由があるから認容し、その余の部分は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条但書を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官水野武 裁判官石井寛明 裁判官石丸将利)

別紙物件目録〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例